無事戻ってきました。天候に恵まれよかったですがとにかくものすごい人 車 楽しかったけど疲れました。
1日目 別府へ上陸寸前
高松~八幡浜~別府フェリーで 28日なんでフェリーは結構すいてる。
別府~熊本から一気に鹿児島 霧島高原へ。結構走りました。高速は渋滞はほとんどなく順調。
ここは霧島高原キャンプ場 写真のように貸切状態。温泉も場内にあって設備は最高のキャンプ場です。しかし寒くて 寒くて。春夏用のシュラフだったんだけど、参りました。テントは今回初使用のムーンライト1型 やはり狭くて不便だった。
2日目 鹿児島 桜島 ちょっと黄砂のせいでガスってますが、このあと驚きました。
これ桜島に入った瞬間 これ 驚いた。やばいと思ったけど近くの売店は普通に営業していました。あまり珍しくもないみたい。ラジオを聴くと今年で450数回目の噴火だとか、、でも灰でバイクが真っ白
途中の売店 いろんなものを販売しています。
桜島から鹿児島に向かう国道フェリーからみた桜島。噴火は山の裏なんでよくわかりませんけどまじかでみたんでものすごい迫力でした。
開聞岳から指宿へ向かう。 いちおう開聞岳の登山道のふもとにあるオートキャンプ場を予定してたんだけど、施設がいまいちでパス。時間があれば開聞岳に上ってみたかった。 まだ時間が早いので先へ進む
知覧の特攻平和会館にたちよる。もう3回目くらいなんだけど、何度きても泣ける
3日目 いちき串木野港 フェリー 結構小さい。瀬戸内海の小豆島行きより小さい 1日2便だそうです。
これ なんと首に手荷物の札がついてました。上陸までここにつながれていました。なんとおおらか しかし超満員 通路まで人が立っていました。なぜか美人が多い。
里港上陸。島で唯一の6階だてのホテル甑島館 ちなみにコンビニはなし。飲食店は3軒くらい。しかもついたときは営業していなかったです。なお島にはスタンドが3軒 ハイオクはないそうです。しかも平地があまりなく 水田は一切ありませんでした。小さい畑があるだけです。
西原さんが港までお迎えにきてくれました。当然島で唯一のハーレ バイク自体原付のスクータしか見ませんでした。なおセルシオも1台しかないそうです。昼食をわざわざ上記のホテルで予約してくれてました。予約しないと食事できないみたいです。ハーレはハイオクなんで予備のハイオクを串木野で購入しているみたいでした。
これ驚きました。なんと補助輪が出てる。たちコケ防止用の空極のアイテム
きびなご定食 甑島はなにもないけど、これむちゃくちゃおいしい。きびなごがこんなにおいいしいとは知りませんでした。 島でお土産はなにもないそうです。焼酎の亀五郎というのが島産だそうでそれを購入。道だけはえらい立派。建設業と漁業が一番の産業みたいです。しかし漁港にもあまり漁船もみませんでした。高齢化で後継者不足のようです。
早速西原さんの案内で島内をツーリング といっても端から端まで走っても1時間かからない。しかし島には老人が多いですが、たまに見る若い女の人はみんなすごい美人ばっかです。
上甑と中甑をつなぐ大橋の上で、、
とにかく海がものすごくきれい。これは絶景です。このような池は3つ連続しているようです。
本土ではなかなかお目にかかれない絶景です。とにかく人がいないので浜がまったく荒れていません。ふしぎなことにゴミがほとんどありません。
西原さんの自宅で一泊 自宅のすぐ裏の海です。なんでも近々4.9tの船を購入するとか、、
翌日上甑から下甑へフェリーでわたりこのルートを走りました。30分 バイクで1000円ちょい なお甑島へのフェリーは750cc以上のバイクで4000円と格安です。(人1名は2000円)
翌日は下甑 長浜の民宿 あずまで一泊
いよいよ甑島へお別れ。朝7.20分のフェリーで長浜を離れます。フェリーは長浜港へ前日から停泊していました。懐かしい光景です。こんなテープの風景を見たのは30年ぶりくらいです。
たしか長浜港 やっぱりフェリーは満員 人も予約券を発行してました。
でもって甑島への総括
とにかく島の人たち。すれ違う人には知らない人にもかならず挨拶します。少ない子供たちは特に丁寧に挨拶してくれます。下甑島で道を尋ねると、なんとそこで雑談が始まり、1時間もたったことも、、
観光客もめったにいないため、島の人たちに親切さは異常です。あまり人に出会わないのが難点ですけど、、、観光客もほとんどいないため、いい意味での地元の人たちは慣れていません。地元の日人と同じように接してくれます。
もともと土地があまりない島ですが、昔は水田もあったそうです。しかし過疎化が進み(高校がない。高校へ行くためには川内などへ下宿するそうです。)せっかくの少ない土地も荒地になって、また人がすんでいた家もその人が亡くなった後、住まなくなって荒れ放題になっています。集落自体が消滅した地域がかなりあるようです。xx集落跡地といった看板を下甑では結構見かけました。
物流が便利になったのはいいけど、その反動で自給自足でその島の経済が成り立っていたのに地元の店が消滅、ちょっと人が多い地域にショッピングセンターみたいなのができる。
まったく限界集落が問題になっている今の日本の現状をまざまざ見てるようです。また産業といえばやはり建設業かな? 特に離島をは思えないほど立派な道路がたくさんありました。
こんな旅は離島しか味わえない旅だな、まだ日本にはいいとこがたくさんあるな~と思った旅でした
ここから雲仙に向かいましたが、天草に向かう国道フェリーがなんと3時間まち。おかげで予定が大幅に狂い、明るいうちに雲仙でキャンプの予定が、、しかなたく諫早までいっきに走ることに、、
諫早の高速にあがって最初のPAでしかたなくキャンプ これは翌日ですが、前日到着したのはすでに夜8時回ってました。もうくたくたで夜の高速は走れない。パトカーが目の前を走ってますが、特になにも言われませんでした(笑) コンビニ有りでしたが離れてた目立たないとこでテントを張って寝ました。ここだけはコンパクトなムーンライト1型で正解
翌日一気に長崎道から九州道 山陽道 瀬戸大橋から帰宅。渋滞は途中あったものの3時には高松へ帰宅。500k一機走りは結構つかれました。